FC2ブログ
旧交を温めた坐禅会
20120915
懐かしい諸先輩方

9月15日(土)に、副住職の前職で大変お世話になった諸先輩方が
田種寺に坐禅に来られました。

参加されたメンバーがすごい方々で、
元教育長・元校長会長・元校長や教頭・元教育委員会所長・現校長等
いわば神奈川教育界の重鎮の方々です。
思わず過去に戻ってしまい、いささか緊張してしまいました。

それでも皆さん、後輩の副住職の坐禅指導が始まると
それぞれ肩書を外され、とても熱心に、かつ真剣に取り組んでおられました。

その後、書院(客間)にて昼食となり、懐かしい諸先輩方と旧交を
温める事ができ、とても有意義な時間を過ごさせていただきました。
感謝! 感謝!! ありがとうございました。
スポンサーサイト



[2012/09/15 18:15 ]
| 行事 | コメント:(0) | トラックバック:(0) |
協働作務のお礼
酷暑の中、ありがとうございました。

9月8日(土)の協働作務は、酷暑にもかかわらず
20人ほどの方々に参加していただき

①足場を組んで本堂と書院の雨樋の清掃
②草むしりと樹木の剪定
③墓地裏通路の笹竹刈り

の3点を中心に行いました。
おかげさまで、どなたも怪我や体調不良も出ることなく
2時間半ほどの間に見違えるほどきれいにしていただきました.

ありがとうございました。心より感謝申し上げます。

今後とも、協働作務にご理解ご協力のほどお願いいたします。

                          合 掌



[2012/09/10 12:35 ]
| 未分類 | コメント:(0) | トラックバック:(0) |
協働作業(作務)
協働作務について

9月8日(土)午前八時半より、檀家さんによる毎年恒例の協働作務を予定しております。
今回の作業重点ポイントは。以下の三点です。

①本堂と書院の雨樋の清掃
②本堂前および墓地の樹木の剪定・草むしり
③墓地裏の参道の竹やぶの草刈り

残暑の中ではございますが、ご先祖様に対する報恩謝徳の作務に
1人でも多くの方に参加していただけたら幸いです。
 特に、青壮年部の方々のお力添えを期待しております。
よろしくお願いいたします。











[2012/09/07 20:51 ]
| お知らせ | コメント:(0) | トラックバック:(0) |
大場と多呂という地名の由来
大場の由来

大山祇(おおやまつみ)という山の神の祭りをする大きな場所。
つまり、大場から名付けられたと言われています。
 そういえば、田種寺の墓地のある丘の樹木に覆われた一角にも
古老の言い伝えのある山の神と称するとても古い(年代不詳)の祠があります。
 もしかして、何か関係があるのでしょうか?


多呂の由来

源頼朝が定めた奉幣使(ほうへいし)。
つまり、三島大社の神に頼朝の代わりに幣帛(へいはく)を献上する使者である
多呂氏の館があった土地を多呂としたとのこと。


まだまだ新しい発見がありそうです。
郷土史研究家のかたがたからの情報提供をお待ちしております。




[2012/09/01 19:29 ]
| 未分類 | コメント:(1) | トラックバック:(0) |
田種寺の開山時期
田種寺の開山は、1493年

明応2年ですから、明応の政変のあった年です。
明応の政変とは、室町幕府管領の細川氏が起こした足利将軍の廃立クーデター事件です。
つまり、戦国時代の始まりを意味します。

また、この年に、今川家の家臣であった伊勢宗瑞(のちの北条早雲)が、伊豆の国へ
侵攻し始めた年でもあります。

そんな時期ですから、この田種寺の地が天守台であったとしても何も不思議はありませんね。

戦国時代のどこの城下町も、城の周辺に戦略的に寺町を備え、いざという時には城郭としての
役を果たすというのは一般的な事でしたから。

何やら、歴史ロマンを感じるのは私だけでしょうか?

田種寺では、郷土史に詳しい方からのさらなる情報を期待しております。


[2012/09/01 18:41 ]
| 未分類 | コメント:(0) | トラックバック:(0) |
城郭研究家の来寺

本日、三島の城郭の研究をされているという方がいらっしゃいました。
なんでも、その方のおっしゃるには、
「田種寺という名前は、戦国時代のころのこのあたりの地名である字天守台が関連しているのでは?」
とのことでした。
田種寺のあるこの地は、戦国時代には天守台のある土地、
つまり天守の地、天守地と呼ばれていたとの事。

そういえば、「増訂豆州志稿」には、中島には、大場氏の中島城。谷田には、佐野氏・渡辺氏の谷田城
梅名(当時は梅縄という地名)には、石川氏の梅縄城があったと記されていますよね。

また、中島には、鎌倉時代より三島大社の奉幣使である多呂氏(その次の代は、明治維新まで伊達氏)の館があったと記されております。

なるほど、そう考えるとここ田種寺の地に、いずれの城の天守台(物見櫓の様な役を兼ねた城郭)
があってもおかしくはない事になりますね。

確かに、墓地のある小高い丘の上からは、この辺り一面、さらには富士山までよく見渡せます。

「でんしゅじ」と「てんしゅち」。なかなか面白いと思いませんか?





[2012/09/01 17:50 ]
| 未分類 | コメント:(1) | トラックバック:(0) |
| ホーム |